村上海賊ミュージアム(旧村上水軍博物館)(大島)
【しまなみオススメMAP・大島】しまなみ海道のある芸予諸島を、かつて支配していた村上氏。水軍や海賊と呼ばれた村上一族の歴史を展示する全国初の水軍博物館が、大島の宮窪地区にある「村上水軍博物館」です。現在は「村上海賊ミュージアム」と改称して、しまなみ海道のサイクリストや自転車旅行者の立ち寄りも多い施設になっています。
水軍博物館の矢野館長の解説を聞きながら
博物館や美術館を巡るとき、解説があれば展示物などが生き生きと輝いて、色んな角度から見ることができる。

水軍に関する全国初の博物館と言われている今治市村上水軍博物館では、事前予約があって矢野館長とスケジュールが合えば、館内を解説付きで案内している。参加体験型の展示物が多く、海賊たちの活躍や暮らしぶりをリアルに感じることができる。
そもそも村上水軍(村上海賊)とは?
以下、村上水軍の概要について、パンフレットから抜粋。
「村上氏は、南北朝から戦国時代にかけて瀬戸内海で活躍した一族である。俗に三島村上氏と呼ばれる、能島・来島・因島の三家からなり、互いに強い同族意識を持っていた。戦国時代になると、村上氏は、その強力な海の武力を背景に、瀬戸内海の広い海域を支配し、国内の軍事・政治や海運の動向をも左右した。この後、来島城を本拠とする来島村上水軍は早くから守護大名河野氏と結びつき、
因島村上氏は大内氏のち毛利氏の有力な水軍となった。そして、現在の宮窪に本拠を構えた能島村上氏は、3氏の中でもっとも独立性が高く、特に村上武吉は、どの大名にも臣従(しんじゅう)せず、独自の姿勢を貫いた」
一つ一つの展示物に、郷土史のプロ・矢野館長が熱弁をふるってくれる。所要時間は、ビデオ上映を含め約1時間。水軍博物館を後にするころ、にわかではあるが能島村上水軍の研究家になった気がする。
能島村上水軍の歴史に触れる
精度は高く、その精密な海図さえあれば、瀬戸内海を歩いて渡れるほどだったという。海路=物流の大動脈であり、船には、圧倒的な量を一度に運べるというメリットがある。能島村上水軍は、九州から塩飽諸島に至る海上交通を掌握していて、航行する船から「海の通行料」を取ったり、水先案内人を務めたりしていた。
そうした中で、海図は一役買っていたのかもしれない。能島村上水軍の知恵と工夫が詰まった海図は、マル秘中のマル秘という重要資料となっていて第二次世界大戦まで存在していたそうだ。
しかし、戦時中にいずこへ・・・。海軍が持っていってしまったのではという推測も。残念?!現存していれば、能島村上水軍の高度な技術を推し量る貴重な一級資料になっていただろうし、なにより「町のお宝」になっていたのに…。「たら話」をしてもしかたがないが、戦争の悲劇がここにも影を落としていたとは…。もしかして、防衛省に今も残っているのでは…、と思ったりもする。
村上水軍は、もともとこの地の人ではなく、長野の山郷から移り渡ってきたという事実を皆さんは知っていただろうか。「地」の人でない武将が、「地」の人を巻き込み、海軍を組織する。しかも地の利をいかした、水先案内人という、今でいうビジネスを確立していたのだ。そのマネジメント術を学びたくなる。
2010年2月

村上海賊ミュージアム | |
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住所 | 愛媛県今治市宮窪町宮窪1285 |
電話 | 0897-74-1065 |
定休日 | 月曜日 (月曜日が休日の場合、翌火曜日) 年末年始 (12/29~1/3) |
営業時間 | 9:00~17:00 (入館は16:30まで) |
料金 | 一般:310円 学生:160円 |
ウェブ | 公式ウェブサイト |